吉田松陰

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吉田松陰に会う

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  萩に旅をしにきた目的は吉田松陰です。吉田松陰が生まれ育った地を体感することで、
  明治維新の理解がさらに深められると思ったのです。  
  
  吉田松陰と言えば松下村塾を訪ねないわけにはいきません。
  現在の地名は椿東(ちんとう)ですが、
  当時は松本村だったので、松下村塾の名前がついています。
 
  三角州の外、松陰神社に現存している松下村塾は、
  木造瓦葺、50.9uの平屋建てです。
  現代風に言い換えるなら、間取2DKの一軒屋です。  
 
  
  当初、八畳一間だったのを、
  後に十畳半一室を増築したとのことなのですが、
  小屋という印象を持ってしまうような建物かもしれません。
 
  でも、多いときには30人以上の塾生が集まり、
  ここで吉田松陰に学んだのだと思うと、
  熱いものがこみ上げてくるのを感じてしまいます。  
  
  幼少のころから「論語」「孟子」を勉強していた吉田松陰は、
  11歳の時に、藩主・毛利慶親公に講義をするほどの英才でした。
 
                                       21歳の時には、藩命により江戸に留学をすることになり、
                                       そこで松代藩の佐久間象山に出会い師事します。
 
    時代は折りしも、諸外国からの艦船が、しきりに日本の海を脅かし、
    鎖国体制が揺るぎ始めようとしていました。
 
    幕藩体制に矛盾を感じていた吉田松陰は、
    日本の植民地化を危惧し、書物などから知識を得るばかりではなく、
    自分の目で確かめようとアメリカ渡航を企てますが失敗します。
 
    そして萩に送り返された吉田松陰は、
    野山の獄に1年2ヶ月幽閉されるのです。
    その間に読破した書物は600冊と伝わっています。
 
                   実家の杉家に戻ることを許されると松下村塾を開塾。
                   わずか2年と10ヶ月の間でしたが、幕末から明治にかけて、
                   後の日本を導いていく人物たちが巣立っていくのです。
 
                   吉田松陰は「松下陋村(ろうそん:せまい村の意)なりと雖も誓って神国の幹となさん」
                   との決意を持っていました。
                   まさにそれが、現実のものとなっていくのです。
 
                   高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿、伊藤博文、前原一誠、
                   山県有朋、山田顕義など、綺羅星のごとき志士たちばかりです。
 
                   ところで、塾生というのは各地から英才を集めたのではなく、
                   そのほとんどが近所に住む少年でした。
                   一体どんな教育をしていたのか知りたくなります。
 
  松陰は少年一人一人の個性を大切にしたと言いますが、
  松陰自身、強烈な魅力を持っていたのでしょう。
  
  脱藩して東北に行って外国船を視察したり、
  アメリカへの密航を企てたりと、机上の空論に終わらぬ、
  体を張った行動に少年たちが胸躍らせたに違いありません。
 
  粗末な小屋のような松下村塾で、
  吉田松陰と少年たちとの魂の呼応が胸に響いてくるようです。
 
  松陰はここで、志を立てて貫くことの大切さ、
  学問を実行に移すことの大切さを繰り返し説きました。
 
 
                    そして自らは幕府の弱腰外交を厳しく非難し、
                    尊皇攘夷を実現するべく、行動を起こそうとしていましたが、
                    安政の大獄で捕縛され、享年30で処刑されました。
 
                    松陰は死を前にして、門下生に自らの志を託します。
                    「身はたとひ武蔵野の野に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」
                    辞世の句で始まる「留魂録」です。
 
  その精神は門下生にしっかりと継承され、
  明治維新への大いなる原動力となったのでした。
 
  またもうひとつ忘れてならないのは、家族の存在です。
  松陰がどんな逆境にいても陰に陽に、親兄弟は支援し、
  松陰もとても家族思いであったと伝わります。
 
  処刑前、家族に宛てた別れの手紙の中には、    
  「親思ふこころに勝る親心 けふの音づれ何ときくらむ」
  との辞世の句が書かれていました。
  
  この歌の直筆を拡大して刻み込んだ石碑があります。
  それを読んで思わず涙ぐんでしまいそうになりました。
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