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世界文化遺産を訪ねて 1 |
知床の世界自然遺産への登録をめぐり、 北の大地・北海道は新聞、ニュースなど連日の大騒ぎでした。 地元漁業関係者にとっては、資源保護、動物愛護など、未解決の問題はあるものの、 念願の世界自然遺産に登録され、ほっと一息というところです。 ユネスコで「世界遺産条約」が採択されたのが1972年。 ![]() 日本がこの条約に批准したのが1992年。 日本での世界遺産の歴史は始まったばかりと言えます。 そもそも私が世界遺産という言葉を知ったのが、 「法隆寺地域の仏教建造物」「姫路城」が世界文化遺産、 「白神山地」「屋久島」が自然遺産に登録された時、 ![]() つまり条約批准の翌年です。 その時すでに、これらの場所は旅で訪れていたので、 確かにそれぞれ世界文化遺産、 自然遺産に登録される価値は充分!と思った程度で、 登録されるための基準などには全く考えが至りませんでした。 ![]() その後「京都文化財」「白川郷・五箇山の合掌造り集落」と、 日本ででの世界文化遺産への登録が続くのですが、 いずれも幾度となく訪れていたので、 このときもまた前回と同じような状態でした。 ところが、それからほどなくして「広島平和記念碑(原爆ドーム)」と 「厳島神社」が世界文化遺産に登録されたとのニュースを耳にします。 ![]() おっ!?そう言えば、まだ広島へは行ったことがない、 しかも世界文化遺産を訪れたこともない・・・。 と思った矢先のこと、仕事の関連で広島に来てほしいとの依頼。 これはまさしく天のお導き!と狂喜乱舞してしまいました(笑) そこで改めて世界遺産なるものを調べてみたのです。 簡単に概要だけ触れておきますと、世界遺産には自然遺産、 文化遺産、複合遺産の3種類があり、日本には10ヶ所の世界文化遺産と、 つい先日登録になった「知床」を入れた、3ヶ所の世界自然遺産があります。 その目的としているところは、地球にある後世に継ぐべき自然や文化を、 ![]() 国や民族の区別無く、全人類の財産として守っていこうということです。 では一体どのような基準をクリアして「広島平和記念碑(原爆ドーム)」 「厳島神社」が世界文化遺産に登録されたのか、と書きたいところなのですが、 それを引用すると途轍もなく長くなってしまいますので、 ここは日本ユネスコ協会の公式HPに譲ることにしますね。 ![]() さて、広島です。広島への旅は強行軍だったとは言え、 日本における世界文化遺産というものを 考えさせられる旅となりました。 最初に向かったのが厳島神社。急いでもいなかったので、 路面電車に乗って宮島口まで揺られること約1時間。 途中、広島の街並が見せてくれる表情の変化を楽しんだり、 地元の乗客同士の会話に、 耳を傾けているとあっと言う間に到着です。 そしてフェリーに乗ります。後から聞いた話なのですが、 船会社は2社あって、片方は時間がかかるけど、 厳島神社正面の鳥居の近くまで遊覧し、最高の景観を楽しめるとのこと。 ![]() ちなみに私は日本三景の美しい景観をこころゆくまで楽しみました。 人なつっこい鹿のお出迎えを受けていよいよ厳島神社です。 厳島神社は推古天皇の時代に創建されたと伝わります。 太古の時代から、人々は宮島の景観に霊験を見て、 宮島そのものを信仰の対象にしていたそうです。 ひょっとすると道後温泉で入浴したと伝えられる聖徳太子も、 何らかの形で関わっていたのかもしれません。 そんなことを想像すると、ロマンを感じてしまいます。 厳島神社は海の神を祭る地方の一神社に過ぎませんでした。 ![]() ところが安芸守となった平清盛との出会いで状況は一変します。 保元・平治の乱を勝利したのは厳島神社のご加護であるとし、 一門を挙げて手厚く保護をしたのです。 現在の原形とも言うべき、社殿の造営をしたのも平清盛です。 また一門の繁栄を祈願して平家納経を奉納。 宝物館に今なお大切に保管されているのですが、 残念なことに一般公開はされていません(泣) 厳島神社は平家一門の権勢が増大すると共に世に知られ、 京都からも数多くの皇族、貴族が訪れるようになり、 積極的に平安文化を吸収していきました。舞楽もこの時代に始まります。 平家の滅亡後は源氏にも厚遇され、しばらく安定期に入ります。 ところが、応仁の乱に端を発した戦国時代に突入すると、次第に社殿は荒れ果て、衰退してしまいます。 それを救ったのが西国の雄にして戦略家・毛利元就でした。 陶晴賢を厳島の合戦で打ち破った元就は、厳島神社を支配下に置き、深く崇拝したのです。 神社内の能楽堂は元就が奉納したもので、元就の信仰の深さが窺えます。 その後は豊臣秀吉を始めとする時の権力からも保護され、 民衆からは崇拝され続け、日本の誇るべき神社として今に至るのです。 ![]() それにしてもこの建築美は何て説明していいのか分かりません。 平安時代から8代目となる朱丹の大鳥居。 干潮時に歩いて側まで行くとその迫力に息を飲んでしまいます。 またそこから拝観する本社社殿の見事な流麗さ。 寝殿造りの様式となる檜皮葺の屋根に瓦を積んだスタイル。 どれもこれもが見る者の心を惹きつけて止みません。 そして舞楽を演じる高舞台を中心に据えた平舞台。 ![]() 満潮時にこの上に立つと、正面には朱丹の大鳥居と紺碧の海、 対岸の山々の緑が鮮やかなコントラストを示し、 まさに海の上に建っていることを実感できます。 こういう設計というのはどんな人間がやるのでしょう。 またどれほどの技術を持つ大工が携わったのでしょう。 そんな先達の姿を思い浮かべながら参拝してきました。 世界文化遺産の初拝観の喜びと、 神々しい霊験をいただいたような気持ちが交錯して、 浄財はいつもより多くお渡ししてきました(笑) ![]() もちろん千畳閣、五重塔、大願寺、大聖院にも参拝し、 その後、ロープウェイに乗って弥山本堂に行ってきました。 この山そのものが御神体となっているということが、 ほんの少しだけ体感できたような気がします。 「世界文化遺産を訪ねて2」へ |
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